THE KAIDOコラム Vol.1「歌川広重と東海道五十三次」

2016年6月12日

歌川広重は実際に東海道を旅したのか?

 日本絵画、不朽の名作「東海道五十三次」を生んだ歌川広重と東海道。今でも地域の方々や旅人を楽しませてくれる重要なものです。しかし、500キロにおよぶ過酷な旅を強いられる事もある東海道を絵画の風景を記憶しながら実際に歩く事は出来たのでしょうか?

 歌川広重(寛政9年~安政5年、1797~1858)は、幕末に活躍した風景画の第一人者、浮世絵師である事は皆様ご存知の事でしょう。その、大胆で個性的な色使いの作風は、ゴッホやモネなどにも影響を与え、世界的にも評価の高い絵師です。代表作である「東海道五十三次」や「名所江戸百景」は余りにも有名で今でも、東海道や東京散策を楽しむ上での重要なガイドの役割を果たしています。

 その中でも広重の出世作となった「東海道五十三次」は人気が高く、浮世絵ファンだけでなく、旧東海道沿線の方々や、旅人に愛され、現在でも東海道沿いの街では至る所で絵画を見る事ができ、旅の疲れを癒したり、画と同じ構図で写真を撮ってみたりと東海道の旅の賑わいにもなっています。広重の絵を探しながら行く東海道の旅も良いかも知れませんね。

東海道五十三次 大磯宿

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東海道かわさき宿交流館の階段

IMG_0053.JPGのサムネール画像

箱根 畑宿の寄木専門店 金指ウッドクラフト前

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さて、歌川広重は実際に東海道を歩いたのでしょうか?Wikiペディアを見ると、

『天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。

なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある(元伊豆高原美術館長・對中如雲が提唱した)。

真相は分かりませんが、実際に東海道五十三次を通しで歩いた身としては、これだけの風景を記憶しながら500キロにも及ぶ行程を旅するには並大抵の事ではないと思います。まして、東海道五十三次には、雨や雪など過酷な天気を描いた絵画もあり、実際にこの時期に旅をしたとなると相当なものです。

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そして、雪景色があると思えば、裸の男達がぞろぞろ、、しかも川に入っていたりします。。一体季節はいつで、どれだけ長く旅をしていたのでしょうか?

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こちらは、これからも継続して調べて見たいと思います。

そんなミステリーもある歌川広重と東海道五十三次、真相を知りたい方は、ぜひ一度東海道を歩いてみてはいかがでしょうか?

 

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